道に献身する者は、大きな輪を描きながら歩み、人生のさまざまな段階を経て、もう一度自分自身に戻ってくる。そうしてその時には自分自身がより確かであり、よりいっそう自己の本質の深い部分から自分を表現し、生きることと関わっていくことができるようになる。

そういうアルケミー(精神的錬金術)の道のりを体現する人たちとともに歩んでいけることは、幸運なことだと思います。

再び、専門課程の学生の感想です。

 

いつもありがとうございます。

研修が終わって、経験を言葉に落とすことに時間がかかりましたが、とても大事な経験でしたので、形にしておこうと思い、感想を送らせていただきます。書きたいことは沢山あるのですが、短めにまとめます。

3回の研修を通して、器が形成され、プロセスを通過し、器が閉じられるということを、はっきりと意識することができました。季節のエネルギーとグループの器が、変容を支え、優しく導いてくださいました。

春の研修の後は、かなり煮えていたのですね。もがいていました。今回は、閉じられて、次に向かっていく流れを静かに感じています。

妻でも母でも娘でも、○○のお母さんでもない、素の自分でいられる器に安心していられたことが、とても貴重な体験だったのだと思います。そして、大好きな自然の中にいられるのですから。

6回目の飛騨で、初めて森の土の上に身を横たえました。今まで一度も体を預けて見ようとは、思わなかったのが、今となっては不思議です。森に、「あ~受け入れ られている」という感じ方が、朝、昼、夜と関係を重ねるごとに深まっていきました。寒い朝なのに体が暖かく、一体になるって、こういう感じなのかな・・ と。

受け取ったものが大きすぎて、反芻しながら、味わい、感動して、胸が熱くなります。

今、何度も通った源泉のことを考えていて、自分の内なる源泉に通う旅だったような気がしています。土を踏み固め、道をつけるために。これを、深めていくことは、とても楽しみです。

共に時間を過ごした仲間がいて、変化していくことを、お互いに支え合えることも、本当に貴重なことです。

ようやく8年越しのタローカードの最後を仕上げにかかりました。… 今回の研修で感じた四大元素と自然との取り組みを描きこんで、自分らしい絵が出来そうです。

フラワーエッセンスに魅かれて、夢中でレパートリーを読んでいた12年前の自分が、自然との関係を深め、自分の手でレメディーを作り、そのことが癒しの道になるとは全く思いもしませんでした。

ありがとうございました。

(1)

研修では大変お世話になり、ありがとうございました。

金沢へ戻ったその日の晩、「鰤起こし」を思わせる雷鳴がとどろきわたり、研修の締めに加えて季節の移り変わりを感じました。

これから北陸ではだんだん雨の日が多くなっていきます。

夏・春・秋と、足かけ2年にわたる研修は、さすがにパワフルでした。

長い間には個人的に良い時もわるい時もあって、高山へ来るだけでも精一杯、いっそ参加自体とりやめようかと考えたこともありましたが、終わってみるとそれすらも自然に近づくための一過程であったように思えます。

「わるい時」には、植物との時間をとれないことにずっと悶々としていました。

あるとき、「あ、私、もともとそんなに植物とか好きな人じゃなかった」「泥で手が汚れるのも虫さわるのもいやかも」と気がつき自覚して、そこからようやく都会のもやしっ子なりのアプローチを自分に許すことができました。

ずっとイメージしていたのは「車で2時間かけて山奥の大自然へ出かける」ことでしたが、まずは「自転車で20分かけて森っぽい公園へ出かけてみる」というのが私にとっての第一歩でした。

行ってみた先では、動植物たちから出血大サービスとしか思えないような歓迎を受けました。

それは人にわかってもらえる客観的なものとは違うかもしれません。しかし宝物のような経験は心の中に「自分にとって大切なもの」として納められていきます。それが自分を豊かにし、力づけ、先へと進む力になっていくのを感じました。

しかし、現状に気がついて腰を上げるまでにどれだけ葛藤があり、時間が必要だったことか…たったこれだけのことに! とも、驚くべき変化だ! とも思います。

1回だけの研修だったら「あの時はいいお話聞いたな~」で終わりかねないところ、この研修では次回までの間に自分で作業する時間があります。実際に作業ができなくても、意識のどこかにフラワーレメディのことがずっとあって、その間の時間を過ごします。

この圧力がつらく感じられるときもありましたが、これがあってようやく私は、他の誰でもない、自分と植物たちとの経験を得ることができたのだと思っています。

もう一つの大きな収穫は、「お祈り」です。

最終日、皆で感謝のお祈りやことばを述べていきましたが、真摯な言葉に込められた胸をうつ思いと、空間に流れる響きの快さにうっとりしてしまいました。

教会などで形式的なお祈りを聞く機会が多かったせいか、これまで「お祈りってどうなんだろう?」と思っていましたが、そこに真実や誠意が込められたとき、お祈り自体も十分感謝のささげものになることに気がつきました。

とても印象的だったので、帰ってからも機会を見つけてお祈りしています。

首をひねりながらですが、いつでも本当の思いを言葉にのせて、向こうに届けられるようになれたらと思っています。

普段からの心にもない/意に反した言葉や行動は、言葉の力を削ぐことにも思い当たりました。これから少しずつ、自分の言動も見直していくことになりそうです。

この他にも、一緒に学んだメンバーの姿から教えられたことや、生活を共にする中で分かちあえたこと、高山の自然の素晴らしさなど、全ては書ききれませんが…

この場を長きにわたって支えてくださった王由衣さん、そして集まったメンバーの皆さんに心より感謝しています。

どうもありがとうございました。

 

(2)

三回のフラワーメディスンの教えをありがとうございました。

より深く豊かに自然との繋がりを思い出せるきっかけになり、貴重で喜びに満ちた経験でした。

エッセンスの切り取られた効能というよりも、木そのものや木自体の感じているものを体感的に理解する感じでした。

個人的には、お米のエッセンスを作ることが出来ました。

一年半借りていた田んぼがこの秋に売却され宅地になるため、この土地にとり最後の稲作でした。

8月の時点では、稲刈り前の売却ため、次の世代に種籾として命をつなぐ事が出来ない可能性があったので、 考えた末に、この土地での最後の稲の命を残す意図でフラワーエッセンスとして残すことを決めました。

・・・

田畑をしている私にとり、講義中言われていた「人が介入する性質であること」と「人が作物を栽培すること」が私にとり重なっています。

縄文時代には植物の声が聞けて適切な場所で狩猟採集が可能で、弥生時代になると自然と離れて栽培にとなったような気がします。

自然と離れたスーパーマーケットの野菜を買うことと、栽培植物と向かい合って種を残しともに生きていくこと、そして野生の自然と向かい合うことの間で、私は畑に向かい合うことをただ続けるのみですが、自然界とともに生きることが当たり前の環境になるところへ向けて、私なりに少しずつ行動してこうと思います。

貴重な機会を作って場を開いて下さいまして、 ありがとうございました。

 

(3)

自然に幼い頃から親しみ大好きな私でしたが、いつの間にか自身の内面から引き離されていました。 その感覚を取り戻したいとクラスに参加しながら、歩んできました。

この飛騨高山の一年半三回に渡る研修はパワフルなものでした。

この度、飛騨高山の自然がとても近くに感じられるようになり、何かが変化したように思います。

例えば、 飛騨に今回行ったらとろうと思っていたエッセンスを参加の少し前から飲みはじめました。

山を歩きながら、何となく足元を見るとすごく惹かれる樹の枝が落ちていて、思わず手に取り部屋に持ち帰りました。 皆が素敵だね~何の木だろうと写メに撮る人、スケッチする人など様々な中、私は何もせず、その木の姿に見入ってました。

研修が終わり帰宅し、何となく開いた本にそれと同じスケッチを見つけ、確信したは、自身が飲んでいるフラワーエッセンスとその実際の植物との繋がりを実感した瞬間でした。

また、昨年7月の一回目めの研修が終わり、何日かゴロゴロ(仕事と研修の疲れが抜けず)ぼーとしていた時でした。

突然、大声で(内側だか外側だか分からないのですが)「母が交通事故、そして認知症」というメッセージが聞こえ、(でも大丈夫だという静かな確信が)

それから二時間くらいして連絡があり、母が横断歩道を渡っている時に車にはねられ搬送されたと電話がありました。

足の骨折は人工骨に置き換える手術が行われ、脳は高齢でリスクが大きいために手術は見送られました。 様々な状態を経て急速に認知症状が進み、話すことも出来なくなりました。(でも大丈夫なんだよ。というあの時の静かな確信)

しかしながら、この現実にうち震えながらの5月の二回目の研修に参加させていただき、帰宅したところ、連絡があり、母の症状は後遺症で、頭の中に水が溜まり認知機能に障害が出ているとのことでした。

手術で水を抜けは元に戻ると聞いたときには、今まで重くのしかかっていたものから解放され、こんなにも自身に影響があったのかと実感した次第でした。 母は水頭症の手術をうけ、少しずつ水を流しました。

少しずつ回復に向かう中、三回めの研修に飛騨高山を訪れることができました。 帰宅したところ、母の脳はすっかり元に戻ったとの連絡がありました。

人の命、生命力というものは、その人自身が選び決めるものなのなど思いました。もちろんまわりのサポートは大切ですが、最終的にはその人のものなのだと。

この素晴らしい研修を企画して下さった由衣さんに心より感謝申し上げます。また参加させていただけたことを嬉しく思います。

ほんとうにありがとうございました。

この10月に終了したフラワーメディスン集中研修の参加者からメールが届き始めているので、紹介しておきます。

2013年の7月から1年半にわたり、5泊6日の研修を3回とその間の各自の取り組みという形で、参加者はすべての日程に出てもらうことを前提にプログラムを実施しました。

一人一人が長い時間をかけて自分自身と向かい合い、とりわけ母なる自然と植物の助けを借りて自分自身の癒し、学び、成長に関わりたいと強く願う参加者たちの熱意とコミットメントによって、グループのエネルギーは最後までしっかり支えられていました。

(事故で最終回に参加できなかった人もありましたが、この人の存在は参加者中の親しい人々(専門課程のクラスメートたち)により繰り返し思い出され、気づかいとともに名前が言葉にのせられることで、ともにグループのエネルギーの中に保たれていました。)

最初にまず専門課程の学生たちの感想、それから追加のポストでそれ以外の人たちの感想をのせます。

 


 

5月上旬にフラワーメディスンの第二回目の集中研修に参加してきました。

今回はフラワーエッセンスを実際に各自作ってみることの他に「祈り」「言葉とエネルギー」についてのトピックが予定されていました。

今まで幾度となく祈ることはあったけれど、祈りの言葉を口にすることには抵抗がありました。それには自分を表現することへのためらいや、照れがあったのかもしれません。

日本では「祈り」というと宗教的なイメージと結びつけられます。それに対しての抵抗だったのかもしれない。

また、自分が言葉を通して神聖なものに触れ、神聖なものへと向き合うことへの恐れなのかもしれません。

自分は神聖なことを表現するような人間ではない・・・そんな心の奥底に沈んでいる自己否定の気持ちなのかもしれません。

毎回、飛騨での研修で感じられることですが、自然の中で過ごすことで人は自身の本質を感じることが出来ます。

社会の中では、個性や能力を持つことや、自分を自由に表現することを抑えなければならない場面もあります。

そういったしがらみから抜け出し、ただそのままの自分で自然と接することが出来た時、自然からの大きな恵みや目に見えない様々な存在からのサポートを体感することが出来ます。

その経験を言葉に乗せて祈る。

言葉にはその人のエネルギーが乗るんです。

集中研修で皆の祈りを聞かせてもらった時、その人「らしさ」が表現されていました。

祈りの言葉がいくら形式的で素敵な言葉の羅列であっても、その人自身の
エッセンスがその祈りに込められていなければ、人の心には届いてこない。それは、相手が人であっても、目に見えない存在に対してであっても同じことなんだろうと思います。

フラワーエッセンスは自然と作り手のエネルギーで作られる、いわば自然と人との共同作業です。共同作業で作られたエッセンスは人々のエネルギーに働きかける。

フラワーエッセンスの基礎的な原理を見せてもらったような研修でした。

(研修についての追加の感想や写真は本人ブログに)

 

☆ ☆ ☆

 

一年半に渡るフラワーメデイスン研修、ご指導ありがとうございました。始まる前から、自分が知りたかったことはこれだ!と思っていましたが、終わってみて、受け取ったものの膨大さばかりを感じています。

ただ感謝の念でいっぱいです。

沢山のものを受け取ったので、書こうと思えばあらゆる角度から感想があるので(食事や風呂のことも含めて(笑))、短くまとめるのが難しいのですが、3回の講座を通して最も強く感じたのは、ア ルケミーの変容過程でした。

タローカードを描いている時にも、似たような感覚がありました。

自分には計り知れない大きな流れ/道を確実に進まされていて、内的にも外的にも様々なプロセスを辿り、最後には自分の中の何かが確かに変わった!と確信出来る、あの感覚です。

その変容を支えてくれている、ほんとうに多くの、見えない方々の存在をヒシヒシと感じられました。森の中で、みんなと一緒にアストラル界の方々に出逢った経験は、これからも自分の大きな支えになってくれるでしょう。

車で飛騨に入るとき、長野を抜けて、松本からウネウネとした山道を走ります。上高地/乗鞍を通り抜け、やっと開けたところが高山です。電車だと、富山の海岸を過ぎ、ガタゴトと山間を電車は進みます。とにかく、沢山の山の真ん中にあるのが、オークビレッジで す。

ここの大地の懐深さ。どこまでも自分が広がっていける、とても優しい、大きな変容の器であり続けてくれました。

里山の四季をそれぞれ6日間かけてじっくり堪能出来たことも、素晴らしかったです。四季があるということは、光がこれほどに変化するものなのだと、初めて実感しました。夏は強く、秋は繊細に、 春には温かい日の光の変化は、絶妙の火加減でした。

湧き水は、夏は冷たく、冬は温かく、身も心も澱みなく洗い流してくれました。谷間を吹き抜ける風は、湿気を含んでいるのか、いつもやわらかい風でした。台風の時にさえ、風は優しかった。

飛騨の土地は、日本という土地での変容のプロセスに意識を向けさせてくれました。 おだやかで、優しく、ゆっくりではあるけれど、日本独特の自然は確実に魂を育んでくれる。 飛騨という土地が、私にはピッタリ合った気がします。たぶん、職人気質とか、隠れ里とかいう、飛騨で暮らして来た人間の歴史も含めて。

グループのみんなが、それぞれに変化していく様を見せてもらえるのも、こういったクローズドで長期にわたる研修の醍醐味でした。

次は1月、新月の飛騨です。心から楽しみにしていますので、また、よろしくお願いします。

(研修についての追加の感想や写真は本人ブログに)

冬の飛騨

飛騨の山での研修は、訪れるたびに森との関係が深まり、豊かな自然の中で、その存在、力とエネルギーに支えられながら過ごし、学ぶことのよろこびを経験させてくれます。

そして施設の方々の暖かいサポートとおいしい食事は、まるで食堂のある建物にある暖炉のよう。

飛騨の冬 暖炉

今回のクラスでは、近代のヒーリングの土台であるキレーションの技術を、開発者ロザリン・ブリエール師の教えに忠実な形で、そのバリエーションとともに学びました。

合わせて、シンプルながら奥深いブレインバランシングの技術を、時間をかけて丁寧に学んでいきました。

以下、参加者の感想や写真です。

   「高山研修、おつかれさまでした!

雪の月夜にすっかり魅了されてしまい、夜の森クラスが楽しかったこと!(昼のクラスももちろん充実してました!!!)

飛騨の森 夜

今年訪れる春の高山、秋の高山が楽しみです。

… 湧水もおいしかったし、食べるもの、飲むもの、空気、目に移るもの、すべてが滋養という感じで、すっかりからだがきれいになった感じがしました。

ありがとうございました!!」

「高山研修、実技研修も時間外活動も、食事もお風呂も… 一分の隙もなく充実した研修でした。

追い求めていた自然霊との交流が大きく一歩進み、長年の夢がかないました。」

冬の飛騨 常緑樹

「王先生、飛騨高山では大変お世話になりました。あれからブレインバランスを取り入れて整体をしています。

ドライアイで目が半分も開けていられないという女性。

目の周りがさわれないほど痛く、顔面まで痛くなって、病院に行ったが改善していない状態でした。[2通りの]ブレインバランスを行い、肝臓にもエネルギーを流しました。

終了後、目が開けられるようになり、頭がスッキリして痛みがない。押しても痛みを感じないとの事でした。 次の日ですが、わざわざ連絡をくれ 『信じられないほどよく眠れた』と報告がありました。

通常の整体だけよりも『よく眠れた』という感想や、精神的にイライラしている人が穏やかになったりと、 うれしいフィードバックをいただいています。

飛騨研修で実際に自分の目があれだけ変わったという体験がとても支えになっています。

更にしっかりとエネルギーを流せるよう、努力していきたいです。

ありがとうございました。」

冬の飛騨 雪と学生たち

 

「英語の講座にでて、まず驚いたのは、耳で聞いて漢字に直す能力が先週よりはるかに上がってきたこと。

まさに、脳がかつて使っていた部位を思い出したかのよう。

それと同時に、英語の読解の訓練で、かつて自分が鍛えていた能力についても思い出すことができました。

おそらく、日本語を読むだけでは、わからなかった言葉の意味を、英語で辞書を引き、意味を知ろうとすることで、日本語自体の理解が深まっていたということ。

そして、その事で、自分が学んでいた事がなんであったかを、再認識できたのです。

当時は、その学びの価値がよくわからず、大学入学とともに学ぶ事をやめてしまいましたが、大人になった今、改めて、また、生涯学んでいきたいと心から思いました。

特に「言葉はその裏に載せられた背景やエネルギーがある」という事を認識することで、英語の文献を読むということは、単なる語学の学習なのではなく、その文に乗せられた文化や思想、作者を理解することであり、耳を傾けることであるのですね!

この講座に出たことは、自分にとって大きな収穫でした。

また、講座の中で一番響いたのは、自由という言葉です。

どこにも属さない、けれども、いろんな要素を自分の中に取り入れて、かつ、それは紛れもなく自分である、という話を聞いて、自分もそうありたいと思いました。

アルケミーという言葉には、自由という要素もあるんですね。

英語と思って、参加しましたが、英語以上のものを得られることができました。ありがとうございました。

あれから毎日英語を読んで、出来るという感覚が続いています。

地震を心配してメールくれた外国の友人に英語でメールする機会にも、作文がスムーズになりました!

 なにより、ずっとコンプレックスだった異文化・言語間に生まれた人間である事をギフトであると感動して受け止められた事は大きかった。

地球人というアイデンティティを私も築きつつあります。広くて深い視野でのクラスをいつもありがとうございます!

ちなみに、いつも脱線しかけてしない話題が気になって仕方ありません(ケルト語の話など)

英語講読の一日目の夜には、知らない単語はあれども課題テキストを、ともかく片っ端から構文分析して追っていくというのを、お茶 を飲み飲みニ時間半ぐらい集中してやってみました。

何処に何がどんな状態であるのかという目で、英文にコンタクトしてゆく作業 は、ちょっとオーラのスキャニングにどこか似ている感じです。

やればやるほど手応えがあるというか、英文に対する視覚認識の質感と集中力が、以前とは確実に変わったのを感じます。(ほんの数 日間のことです)

もちろん、まだまだ日本語を黙読するような速さとは全く違いますが、英文の塊(かたまり)に対しての距離感が、ぐっと近づいた感じです。

自分が興味のある文献を用いるとい うのは、こういう1000本ノック的(!)作業のモチベーションを維持する、最高の着火装置です!

いつか原文で読みたいなと思って買っていた、英文のペーパーバックが、本棚の肥やしにならずに済みそうと希望の火も灯り、心が踊ります。

遠隔講座もほんとうに楽しみです。

今後、バック(Bach)医師の文献も、ぜひ原文で読み進めたいものの一つです。

そして、海外で長い時間をすごされたり、日本で生まれた二世の方たちからの言語認識にまつわる質問や、体験話しも聴くことができ、さまざまな話しにつながっていってほんとうに興味が尽きませんでした。

(2011年、東京で実施)

☆ 関連記事 英語を学ぶ エネルギーとチャクラの視点から

初回の「エネルギー心理学講座」をライブストリーミングで受講した方からの感想を紹介します。

3日間、夜の講座ありがとうございました。

由衣さんお一人でもパワフルな上に、お二人揃うと、また別のパワフルさがあって、家に居ながらにして、そんなエネルギーに触れられるのは、とっても有り難い時間でした。

猫たちもいつもと違う接続の電話ケーブルにじゃれたり、ヘッドセットのマイクに齧りついてきたりして、大ハッスル大会でした。(メディテーションのときは使う部屋もちがうし、古典神学の講座のときともまた猫の様子が違います)

Dean先生の英語は聞きとり易く、興味のある内容だから耳も開くのか、とっても英語ヒアリングの耳練(笑)にもなっているようです。由衣さんから届く声は、音感からしてあたたかく、配慮がちりばめられていて沁みこむようです。

遠隔でちょっと残念なのは、対面のクラスで使用されていたような、チャクラシステムなどのきれいな画像類が見られないこと。

無ければ無いでも、それはそれでいいのですが、タールチャクラの位置など、ネッターや解剖写真を見て確認してみたりしましたが、合ってるのかな?とか、あと「二枚の花弁のよう」と、聞いてもどんな風な二枚なのかしら…など。見え方に個体差がありそうだけれど、ちょっともどかしい時もありました。

あと、さまざまな実習も短かいものでも、いっしょにやると底上げがあるので、もっといろいろ体感して蓄積して行きたいです。

以前、習ったエネルギーのバウンダリーの実習の感覚は、自分にとって、とても大きな経験で、とても役立っています。

(中略)

そして、目に見えない世界とのコンタクトのことを、放射線物質のとり扱いに例えられるのは、放射線物質の元研究者ならではの、深みとリアリティがあるようでした。いろんな意味で、何ともいえない例えだなと、日中に何度も思い出しました。

3日間とも、講座が終わって電話を切ると、遠い鈴の音のようなものが聴こえていました。この前の古代エジプト、アレクサンドリアの遠隔メディテーションの前後にも似たような音が聴こえていたのですが、それは心地よくて、とてもきれいな音です。

今回いただいた肉体もソフトウエアも、出来る限り使い込むのだ! とやる気がでてきます。

また次回のクラスも楽しみにしています。

 

蔵王ではお世話になりました。

私にとっては初めての土地でしたが、自然と一体になった環境が素晴らしく、豊かであるのに、まるで庭に出るような気軽さで、森や川の中に入っていかれるのは魅力的でした。

木々の間や川の水に浸るのも久しぶりのことで、自然の中に入ることで開放され、安心できるのだということを、思い出させてもらったような気がします。

帰り間際になってから、川遊びの出来るいい場所を発見したので、次回は水着が必須だと思いました。

夜の森の中へガイダンスに出かけた時は、川の中の岩の上を選んで座っていました。

水の流れる音や、岩の上の柔らかい苔も気持ちよく、自然の包み込むような闇の心地よさ、優しさに改めて気付かされました。

その一方で「こんな時間にこんなところで一人でいるところを、見知らぬ人に発見されたらどうしよう」という不安も湧いてきて、「闇」というより「人」の気配の方が、自分にとっては怖いのだという事も知りました。

むしろ夜の闇の中で安心して自分を「開いた」からこそ、その無防備な中に他者が侵入してくる危険を感じたのだと思いますが。

それから今回、なんと言っても素晴らしかったのが、生まれたばかりの赤ちゃんの祝福式でした。

新しいメンバーを迎えた先輩ご家族と、それを囲むスクールの仲間たち、お祝いのために整えられたアイテム、蔵王のネイチャースピリットたち。

みんなから紡ぎ出される、温かく慈愛に満ちたエネルギーが、儀式によって束ねられ、赤ちゃんに贈られる瞬間は感動的で、空間に光があふれて輝いていたように感じられました。

生まれたばかりの時からこうして祝福を受けられる赤ちゃんとご両親は、とても幸せだなと羨ましくなりました。

こんな風に、一人ひとりが人生の大切な節目に、仲間たちから温かい祝福を受けとる経験を積み重ねていけたら、自分の生に対しても他の生命に対しても、尊厳と慈愛を持って接するということを体現していかれるだろうのにと思います。

本当にあっという間の5日間、施設の皆さんのサービスもとても心地よく、毎食の素晴らしいお料理と、暖炉の灯りが恋しいです(笑)。

これからまた戻っていくことになるであろう新たな場所でリトリートに参加できたことは幸運でした。

ありがとうございました。

今回は初めて夫がいっしょでした。お誕生の儀式の前に研修室に夫が入ってきて、しばらく由衣さんの話を聞いていたようでしたが、あとから聞いてみたら、由衣さんのおっしゃっていることはよくわかると言ってました。

子供が親を選んで生まれてきているという話にも、とても理解できる感じがあるらしいです。

子供たちも「また来年も行く」と言っています。二人とも、高校と中学に進んで、やはり小さなお子さんたちといっしょに遊ぶ、というのが少し違和感が出てきたような様子でした。

それなので「もう行かない」と言うのかと思ったら、来年も行くそうです。息子は今朝「あー、蔵王行きたい」と言ってました(笑)

昨年、息子が受験勉強を研修室でやっていたのですが、彼はけっこう、研修室が集中できるとかで気に入っているようです。高校に入って、宿題の量も尋常ではなく、蔵王にいる間も必死に宿題をやっていました。でも問題を解きながら、由衣さんのお話も聞いているようです。

ネイチャースピリット、四大元素、植物、人間の肉体、フラワーエッセンス、ハンズオンヒーリング…が自分の中でひとつにまとまろうとしているような、「ああ、これがやりたいんだ!」という感覚がはっきりしていて、ようやく、自分がこれからどうしていくのか、道が見えてきたような感じです。

勉強しなくてはいけないことが多すぎて、圧倒される感じもありますが、最近は「これをやりたい」と思うと、目の前にサポートしてくれる人が出てきたりしますので、そういったことも楽しみながら、やっていこうと思っています。

ゆいさん、蔵王のリトリート、ありがとうございました。

やさしくさわやかな南蔵王の土地に包まれて、体調もとてもよく、すっきりと過ごせた5日間でした。

帰宅してから、本当に行ったの?と、思うくらい、夢の中の出来事のように感じられます。

祝福式に参加できたことが、嬉しく、大変心に残りました。

赤ちゃんの存在がとても大きく感じられ、沢山の甘く優しい、そしてさわやかな光を感じました。家族という器が形成されるそのことも、感動しました。

なにより、すみのちゃんが、お母さんになった!! ことが、とても嬉しかったです。

おこぼれをいただき、私も新しいスタートのエピローグが見えてきた、そんな感じです。漠然としていたことが、具体的になりました。

クラスでゆいさんの口から語られる言葉が、自分のための物語を聞くような満足感があり、また、耳の痛いこともありました。

あれほど、暗闇が怖かったのに、あの夜の森に戻りたくて仕方がないのです。

満月に向かう月の光が、木々の葉を銀色に照らし、暗闇初心者の私に光を届けてくれました。

最後の夜は雨上がりで、草の上に沢山の雨粒が、星のように輝いていて、本当にきれいでした。生命体のようにも見え、不思議なかんじがしました。

テラスで、ガイダンスの練習をしながら、常に子供が起きたらどうしよう…という思いがあり、全てを手放して、できるようになりたいものです。

これが、修行なのでしょうか…。

家族で参加できるよいところは、家に帰っても、お互いのギャップが少ないことです。

子供たちも少しずつ大きくなり、以前は家族とクラスの間で葛藤がありましたが、今回は、とても楽な精神状態でいられました。家族として受け入れていただいていることに、本当に感謝します。

ゆいさんと馬に乗れたことも、とても楽しかったです。

めざすは、ゆいさんの5チャクラ。ブレがないって、こういうことなのだ…と背中を追いかけながら、感動していました。

今度はいつ[馬の]小雪ちゃんに会いにいこうかしら、と思いを巡らせて楽しんでいます。家族もまた行く気です。

食事はおいしかったし、水、空気、暖炉の火、森も馬も人も、全てが、やさしく私の内を満たし、とろけさせてくれました。ありがとうございました。

祝福式のときの写真をお送りします。

出産してから、ばたばたとすごして時間だけがすぎていた日々でしたが、祝福式をしていただいてから、なにか一区切りついて仕切り直しができたような感じがしています。

夫もとても感激していて、時間は短かったけれど、とても充実していたと話していました。

祝福式は本当にわかりやすい言葉で話していただけて、うれしかったです。

式にでてからは

・本当に気がついて、意識しながら生き続けなければならないということ。
・目の前に、私たちのもとに産まれてきてくれた子が、本当にいるんだということ。
・幸せも悲しみも、同じように存在していて、それを認め受け入れて生きていくのだというようなこと。

色々な気付きがあり、子供が生まれた自分の人生を、客観的に見ることができた貴重な体験でした。

それには、出席してくれた人たちがいたことも大きかったと思います。

初めてやわらかく、温かな「コミュニティー」や「器」のようなものにリアルに触れた経験でした。

それはなにか「ああ、自分達は大丈夫なんだ」と思えるものでした。

ここからあらたに家族で一歩を踏み出せそうです。

本当にありがとうございました。

追伸:あのトンボには本当にびっくりしました。あんなこともあるんですね〜*

[* 式が始まると同時に大きなオニヤンマが窓から入ってきて、ずっと部屋を飛び回り、式が終ると同時に窓から出ていった出来事]

蔵王リトリートの感想を送ります。

みんなの感想を読んでいたら感動も新たに、豊かで柔らかな蔵王のエネルギーと赤ちゃんの祝福式での、たくさんの人や存在からの喜びのエネルギーがよみがえってくるようでした。

自然と人、目に見えない存在の優しくて大きいエネルギーに抱かれたような5日間だったと思います。

夕食時のたき火も嬉しかった! 四大元素を満喫できました。

滞在中はおもに宮城蔵王の女性的なエネルギーを感じていました。

満月の影響も大きかったと思います。

その後の心理療法では、ここ何回かのセッションで自分の女性性に意識があたってきていたことを言われ、「あ〜そういえばそうだった」と、表層意識では意識し
ていなかったけれど、無意識ではそこにアクセスしていたからなのかなと思いました。

そして、何より大きかったのは暗闇に入ることができたことです。

あまり馴染みもなく怖いと思っているものでしたが、初めに電気が消えた時、ワクワクしている自分がいたのでちょっとびっくりしました。

実際に森に出てみると、多少の緊張はあったものの森は静かに受け入れてくれて、怖いと思っていたのは自分自身の内にあるもの、心の状態の反映なのだということを感じました。

あれから、ぽつぽつと楽しみながら暗闇との関係を深めています。

赤ちゃんの祝福式はほんとうに素晴らしく、その場にいることができたことに感謝します。

温かく柔らかな祝福のエネルギーが共鳴しあいながら赤ちゃんと家族を包み、そして空間全体に広がりまた共鳴していく感じがしました。

儀式というものの意味、それに少しですが触れられたような気がします。

新たに赤ちゃんも加わり、一段とにぎやかなコミュニティになっていきそうで、ますます楽しみです。家族同伴のリトリートでは、それぞれの家族の姿を見せてもらえることも大きいです。

その器を支えてくださっているユイさん、ほんとうにいつもありがとうございます。

安心して暗闇に入っていけたのも、器があったからこそだと思います。

このいただいた経験をきちんと自分のものに落とし込み、家族、日常生活に活かしていきたいと思います。ありがとうございました。