この10月に終了したフラワーメディスン集中研修の参加者からメールが届き始めているので、紹介しておきます。

 2013年の7月から1年半にわたり、5泊6日の研修を3回とその間の各自の取り組みという形で、参加者はすべての日程に出てもらうことを前提にプログラムを実施しました。

 一人一人が長い時間をかけて自分自身と向かい合い、とりわけ母なる自然と植物の助けを借りて自分自身の癒し、学び、成長に関わりたいと強く願う参加者たちの熱意とコミットメントによって、グループのエネルギーは最後までしっかり支えられていました。

 (事故で最終回に参加できなかった人もありましたが、この人の存在は参加者中の親しい人々(専門課程のクラスメートたち)により繰り返し思い出され、気づかいとともに名前が言葉にのせられることで、ともにグループのエネルギーの中に保たれていました。)

 最初にまず専門課程の学生たちの感想、それから追加のポストでそれ以外の人たちの感想をのせます。


 5月上旬にフラワーメディスンの第二回目の集中研修に参加してきました。

 今回はフラワーエッセンスを実際に各自作ってみることの他に「祈り」「言葉とエネルギー」についてのトピックが予定されていました。

 今まで幾度となく祈ることはあったけれど、祈りの言葉を口にすることには抵抗がありました。それには自分を表現することへのためらいや、照れがあったのかもしれません。

 日本では「祈り」というと宗教的なイメージと結びつけられます。それに対しての抵抗だったのかもしれない。

 また、自分が言葉を通して神聖なものに触れ、神聖なものへと向き合うことへの恐れなのかもしれません。

 自分は神聖なことを表現するような人間ではない・・・そんな心の奥底に沈んでいる自己否定の気持ちなのかもしれません。

 毎回、飛騨での研修で感じられることですが、自然の中で過ごすことで人は自身の本質を感じることが出来ます。

 社会の中では、個性や能力を持つことや、自分を自由に表現することを抑えなければならない場面もあります。

 そういったしがらみから抜け出し、ただそのままの自分で自然と接することが出来た時、自然からの大きな恵みや目に見えない様々な存在からのサポートを体感することが出来ます。

 その経験を言葉に乗せて祈る。

 言葉にはその人のエネルギーが乗るんです。

 集中研修で皆の祈りを聞かせてもらった時、その人「らしさ」が表現されていました。

 祈りの言葉がいくら形式的で素敵な言葉の羅列であっても、その人自身の
エッセンスがその祈りに込められていなければ、人の心には届いてこない。それは、相手が人であっても、目に見えない存在に対してであっても同じことなんだろうと思います。

 フラワーエッセンスは自然と作り手のエネルギーで作られる、いわば自然と人との共同作業です。共同作業で作られたエッセンスは人々のエネルギーに働きかける。

 フラワーエッセンスの基礎的な原理を見せてもらったような研修でした。

 (研修についての追加の感想や写真は本人ブログに)

 一年半に渡るフラワーメデイスン研修、ご指導ありがとうございました。始まる前から、自分が知りたかったことはこれだ!と思っていましたが、終わってみて、受け取ったものの膨大さばかりを感じています。

 ただ感謝の念でいっぱいです。

 沢山のものを受け取ったので、書こうと思えばあらゆる角度から感想があるので(食事や風呂のことも含めて(笑))、短くまとめるのが難しいのですが、3回の講座を通して最も強く感じたのは、ア ルケミーの変容過程でした。

 タローカードを描いている時にも、似たような感覚がありました。

 自分には計り知れない大きな流れ/道を確実に進まされていて、内的にも外的にも様々なプロセスを辿り、最後には自分の中の何かが確かに変わった!と確信出来る、あの感覚です。

 その変容を支えてくれている、ほんとうに多くの、見えない方々の存在をヒシヒシと感じられました。森の中で、みんなと一緒にアストラル界の方々に出逢った経験は、これからも自分の大きな支えになってくれるでしょう。

 車で飛騨に入るとき、長野を抜けて、松本からウネウネとした山道を走ります。上高地/乗鞍を通り抜け、やっと開けたところが高山です。電車だと、富山の海岸を過ぎ、ガタゴトと山間を電車は進みます。とにかく、沢山の山の真ん中にあるのが、オークビレッジで す。

 ここの大地の懐深さ。どこまでも自分が広がっていける、とても優しい、大きな変容の器であり続けてくれました。

 里山の四季をそれぞれ6日間かけてじっくり堪能出来たことも、素晴らしかったです。四季があるということは、光がこれほどに変化するものなのだと、初めて実感しました。夏は強く、秋は繊細に、 春には温かい日の光の変化は、絶妙の火加減でした。

 湧き水は、夏は冷たく、冬は温かく、身も心も澱みなく洗い流してくれました。谷間を吹き抜ける風は、湿気を含んでいるのか、いつもやわらかい風でした。台風の時にさえ、風は優しかった。

 飛騨の土地は、日本という土地での変容のプロセスに意識を向けさせてくれました。 おだやかで、優しく、ゆっくりではあるけれど、日本独特の自然は確実に魂を育んでくれる。 飛騨という土地が、私にはピッタリ合った気がします。たぶん、職人気質とか、隠れ里とかいう、飛騨で暮らして来た人間の歴史も含めて。

 グループのみんなが、それぞれに変化していく様を見せてもらえるのも、こういったクローズドで長期にわたる研修の醍醐味でした。

 次は1月、新月の飛騨です。心から楽しみにしていますので、また、よろしくお願いします。

 (研修についての追加の感想や写真は本人ブログに)

「英語の講座にでて、まず驚いたのは、耳で聞いて漢字に直す能力が先週よりはるかに上がってきたこと。

 まさに、脳がかつて使っていた部位を思い出したかのよう。

 それと同時に、英語の読解の訓練で、かつて自分が鍛えていた能力についても思い出すことができました。

 おそらく、日本語を読むだけでは、わからなかった言葉の意味を、英語で辞書を引き、意味を知ろうとすることで、日本語自体の理解が深まっていたということ。

 そして、その事で、自分が学んでいた事がなんであったかを、再認識できたのです。

 当時は、その学びの価値がよくわからず、大学入学とともに学ぶ事をやめてしまいましたが、大人になった今、改めて、また、生涯学んでいきたいと心から思いました。

 特に「言葉はその裏に載せられた背景やエネルギーがある」という事を認識することで、英語の文献を読むということは、単なる語学の学習なのではなく、その文に乗せられた文化や思想、作者を理解することであり、耳を傾けることであるのですね!

 この講座に出たことは、自分にとって大きな収穫でした。

 また、講座の中で一番響いたのは、自由という言葉です。

 どこにも属さない、けれども、いろんな要素を自分の中に取り入れて、かつ、それは紛れもなく自分である、という話を聞いて、自分もそうありたいと思いました。

 アルケミーという言葉には、自由という要素もあるんですね。

 英語と思って、参加しましたが、英語以上のものを得られることができました。ありがとうございました。

 あれから毎日英語を読んで、出来るという感覚が続いています。

 地震を心配してメールくれた外国の友人に英語でメールする機会にも、作文がスムーズになりました!

 なにより、ずっとコンプレックスだった異文化・言語間に生まれた人間である事をギフトであると感動して受け止められた事は大きかった。

 地球人というアイデンティティを私も築きつつあります。広くて深い視野でのクラスをいつもありがとうございます!

 ちなみに、いつも脱線しかけてしない話題が気になって仕方ありません(ケルト語の話など)

 英語講読の一日目の夜には、知らない単語はあれども課題テキストを、ともかく片っ端から構文分析して追っていくというのを、お茶 を飲み飲みニ時間半ぐらい集中してやってみました。

 何処に何がどんな状態であるのかという目で、英文にコンタクトしてゆく作業 は、ちょっとオーラのスキャニングにどこか似ている感じです。

 やればやるほど手応えがあるというか、英文に対する視覚認識の質感と集中力が、以前とは確実に変わったのを感じます。(ほんの数 日間のことです)

 もちろん、まだまだ日本語を黙読するような速さとは全く違いますが、英文の塊(かたまり)に対しての距離感が、ぐっと近づいた感じです。

 自分が興味のある文献を用いるとい うのは、こういう1000本ノック的(!)作業のモチベーションを維持する、最高の着火装置です!

 いつか原文で読みたいなと思って買っていた、英文のペーパーバックが、本棚の肥やしにならずに済みそうと希望の火も灯り、心が踊ります。

 遠隔講座もほんとうに楽しみです。

 今後、バック(Bach)医師の文献も、ぜひ原文で読み進めたいものの一つです。

 そして、海外で長い時間をすごされたり、日本で生まれた二世の方たちからの言語認識にまつわる質問や、体験話しも聴くことができ、さまざまな話しにつながっていってほんとうに興味が尽きませんでした。

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