ヒーラーとアルケミストの巡礼

 

カタリ派の城
カタリ派の城塞、ケリビュス城で(南フランス、ラングドック・ルシヨン)

リトリートと巡礼の旅

 人間存在の目的とは、一つの表現を用いれば、自己の本質/霊性/神性が、自らの魂と肉体を通して自由に経験され、表現されることです。

 それを実現するためには、自己の肉体と魂に固定されたあらゆる条件付けやパターンを見つけ、手放し、断ち切り、時に打ち破ることで、自己の本質を流れ、あふれ出させることが必要です。

 固定されたパターンや条件付けは、肉体から感情、知性、意志、エネルギーの様々なレベルに存在し、魂が過去の生から持ち込んできたもの、遺伝的に受け継がれたパターン、家族のコンステレーション(布置)としてその人を取り巻くもの、成長の過程で社会や家族から刻み込まれたもの、そして自分自身の経験の積み重ねから加えられたり補強されてきたものなどがあります。

 固定パターンや条件付けを見つけては手放していく作業は、基本的に各自の毎日の生活の中で、自己観察や内省、メディテーション、肉体との取り組みなどを通して行っていくべきものですが、パターンや条件付けの多くは無意識の反射反応となっており、慣れた環境の中で同じような生活を続ける時、見つけたり外すことが難しいものが多くあります。

 このような場合に道をつけるために、精神的道程を歩む先達の知恵は、「巡礼」と「静修」という二つの方法を生み出していました。

カタリ派の城
専門課程の学生たちと巡礼したオクシタニア。
城塞の案内役をお願いしたのは、オクスフォード大学の学生たちに
カタリ派の歴史を教える歴史学者ジェイムズ・マクドナルド氏

巡礼と静修

 巡礼(Pilgrimage)とは、精神的な目的をもって、神聖なるものとの出会いを求め、あるいは自己の本質を求めて、特別な意味を持つ土地を訪れる旅に出ることです。

 静修(Retreat)は、普段の環境から離れて静かな場所で集中的、内省的に時間を過ごし、自分自身と取り組む期間を持つことです。古(いにしえ)より、さまざまな精神的知恵のよりどころであった集団は、このような機会を与える習慣をもっていました。

 現代においても伝統的な組織宗教はその形式を受け継ぎ、その宗教の枠組み内で実践しています。

 キリスト教徒にとってはエルサレム、イスラム教徒にとってはメッカ、ヒンズー教徒にとってはガンジス川が巡礼の訪れるべき聖地であり、また仏教やカトリック教会、ヒンズー教ではその寺院や僧院、アシュラムの中で、静修のための場所を提供しています。

 他方、特定の組織宗教に属さないことを選ぶ者にとっても、このような「神聖な場所」を訪れたいという憧れが胸の中にあります。宗教の枠組みを越えて、生命への畏敬そのものを価値観の中心とする者にとっては、聖地とは地球全体であり、地球のあらゆる場所が神聖であるということができます。

 しかし地球をおおうエーテル体の中には、ちょうど経絡のように集中して強くエネルギーが流れる、地球のリズムの調節を司るグリッド(網目)のパターンがあります(「レイライン」)。

 そしてそれらのラインが幾重にも交差することで集中的にエネルギーが流れ込み、高い密度で集まり、経絡のつぼやチャクラのような機能を果たす特定の場所があります。

 地球のリズムと一つになって生きていた古代の人々は体感的にこのような場所がどこにあるかを知っており、それらの場所は世代を越えて引き継がれ、当初はその地に属する人々(部族、コミュニティ)の儀礼や儀式、癒しの場として共有され、やがて組織化された宗教が生まれ力を持つにいたり、聖地の多くには教会や寺院が建てられ、土地の空間とエネルギーは特定の宗教によって「私有化」されていきました。

 幸いそのような私有化を免れることのできた場所もあり、一部は世界各地のピラミッドやストーンヘンジのように「考古学的遺産」として知られています。もちろんこれらの建造物とそれによって生み出される空間が本来果たしていた機能については、大半の考古学者は理解していません。

 しかし私たちの魂および遺伝的記憶は、過去に訪れることのできた神聖な空間を懐かしみ、再びそれとつながりを持ちたいという衝動をもっています。

 このような場所への巡礼、あるいは豊かな自然の中での静修が、自己の魂、そしてその核にある霊性/神性/自己の本質と向かい合うことを可能にする理由の一つは、まぎれもなく、このような場所自体を満たし流れているエネルギーの強さによります。

 レイラインの配置とともに、その場所の自然や気候風土、季節と時間のリズムも関係しますが、これらの空間に足を踏み入れる時、その圧倒的なパワーによって、多くの人は何の努力もなく、自然と空間との一体感を経験し、忘れていた生のリズム、自分は宇宙や自然の生命すべて、人類の歴史のすべてとつながっており、自分が生まれてきたことには理由があるという事実を再び感じ始めます。

 そうして普段の生活の中で胸の奥深くにしまってある精神的な憧憬がうずきだし、まるで「目覚めた」かのように感じるのです。このような感覚は「聖地」に限らず、普段の生活の拘束から完全に離れて豊かな自然の中で時間を過ごす時にも、経験されることがままあります。

 そしてその環境が、訪れる者にとって未だ経験したことのない、あるいは普段の生活から大幅に異なるものである時、固定されたパターンを揺さぶり、自己の中の条件付けに気付き、断ち切ることを促す効果は高まります。

 その意味では、日本の聖地のしっとりとした静謐な空間も捨てがたいのですが、またすばらしい浄化作用をもった場所もあるのですが、それらは同時に私たちにとって「馴染み」のものであり、「自分が誰であるか、この血に流れているのはどのような記憶であるか」を再び思い出させてくれますが、無意識のパターンや条件付けを見つけ、あるいは外すという目的のためには、日本の国外、異なる自然と文化圏の方が向いているのです。

 このような異なる環境に置かれる時、人は自分がそれまで慣れてきた土地、社会、文化、生活、思考、感情の内的・外的パターンや、自動化された反応や態度から引き離されて、自分の知らなかった/忘れていた生き方、感じ方、考え方、そして異なる生のリズムで生きる可能性を目の当たりにします。

 そして現実と自分自身とを新しい視点から見直すよう、内面からの促しが起きます。(もちろん、団体形式の観光では日本の文化/社会慣習/行動パターンがそのまま持ち越されるので、これは可能ではありません。)

 先に述べたように、これまで経験したことのないエネルギーのグリッドの中におかれること自体、個人の固定されたエネルギーパターンを解きほぐし、魂を広げる効果があります。

 日本のエネルギーグリッドから離れ、意識的に日本と大きく異なる自然/文化/エネルギー環境、時間のリズム、土地の呼吸の中に身を置くことは、自分の体に流しまた感じ取ることのできるエネルギーの周波数(色のスペクトラム)に幅を加え、また異なる時間のリズムでパルスする能力を高めます。

 このような時間と空間を、パワフルな自然のエネルギーが存在する場所や聖地と呼ばれる場所において、人生についての基本的な価値観を共有する人々と、明確な意図やテーマをもって共有できる時、それは大切な変容のステップとなり得ます。これらの点を理解し、意図のうちに組み入れ、意識的にその過程に足を踏み入れる時、そしてエネルギーワークの知識と技術をそこに組み入れる時、比較的短い滞在であっても収穫を得ることが可能なのです。

ケリビュス城への道
ケリビュス城への道

地球の住人として

 とりわけこの時代に「地球の住人」として生きようとする者にとっては、できる範囲で地球上の様々な自然と出会い、気候風土や文化を肌で感じ、エネルギーの手触りを知り、体感的に人類全体に対するつながりと理解を広げることは、大切な土台です。

 いったん日本とそのエネルギーのグリッドの外に出てみれば、日本という国が直面する問題についてもより明確な視点が得られます。同時に親しんだ環境から離れることで、日本という国の特質、長所、そしておそらくは他の国々にもたらすことのできる贈り物について、そしてどのように自分がその仲立ちの一部となれるかについても考えてみることができるでしょう。

 人が特定の土地や自然を訪れる時、新しい経験や理解が加わるだけでなく、エネルギーのレベルで絆が結ばれます。地球とこの世界について真に「知る」ためには、できるだけたくさんの土地を訪れ、外的な地球のエネルギーの地図を、自分自身の内にある地図と、経験を通して対応させ、結びつけることが重要なのです。

 それによって地球は真に私たちの「家」、「故郷」となります。そして世界のどこかで災害や不幸が起きた時、それを単に「遠くの国」のことではなく、「自分の家に起きていること」と感じることができるのです。

 日本国内でも美しい山や海の自然のある場所を訪れたことのある人は、その山や森が痛めつけられたり、その海が汚されたりすれば、自分が訪れたことのない場所で同じようなことが起きている時よりも、強い感情を感じます。

 その感情が、切実感をもって「何かをしなければ」という意志に火をつけるのです。


旅の意味

 旅に出るということ自体が人生のメタファーそのものであるように、「遠い土地」に出かけるためには、その準備として自己の内に心構えを築き、エネルギーを蓄え、物事の優先度を再検討し、必要な選択を行い、手放す必要のあるものを手放し、エネルギーと物質レベルで投資を行うことが必要とされます。

 このような旅の準備過程自体が、魂にとっての重要な成長のステップないし訓練(ある意味では圧縮された人生のプロセス)ともなりえます。

 古来からの聖地への巡礼の習慣は、このような理解を無意識のレベルで内包していました。

 School of Healing Arts and Sciencesでは、「巡礼」と「静修」いう形に組み込まれた伝統的な知恵を汲み上げながら、参加者の魂と肉体が、普段の環境の制約を超えてのびのびと広がり、呼吸し、自然との交感(コミュニオン)のうちに生きることのよろこびを味わい、自己の本質を見いだす機会を創り出すことを目的に、海外リトリート/巡礼の旅を実施しています。

初夏でも雪の残るシャスタ山

これまでのおもな旅行

 2002年はハワイ島で「夢と癒し」をテーマにした、海と芸術療法リトリート、2003年はカリブ海のビミニ島でイルカと泳ぐ&海底遺跡でシュノーケリング。

 2004年はカリブ海沖のシルヴァーバンクで越冬するクジラと泳ぎ、2005年はハワイのカウアイ島で、ダイナミックな自然の中で四大元素とのつながりを深めるメディテーション・リトリートを行いました。

 2006年にはアメリカのシャスタ山(メディテーションとエネルギーワーク集中静修)、2007年はハワイ島での女性限定リトリートを行いました。

 2008年は沖縄で芸術療法と夢・祈り・メディテーションに取り組み、2009年はボルネオ島で、悠久の豊かな自然の懐に抱かれ、たっぷりとエネルギーを受けとって日本に持ち帰りました。

 2010年からはバリ島とボルネオ島で交互に実施。

 2016年にはフランスの聖地ルルドと、SHAS の学生の多くにとって「懐かしい場所」であるカタリ派の故郷を訪ねました。

 2019年にはカンボジア王国の古都シェムリアップで、アンコール遺跡群を中心に、エジプトの大ピラミッドにも比すると言われるエネルギー空間に身を浸しました。

 2022年以降はイタリア(フィレンツェ)、ギリシャなどを検討しています。

参考 アート・ヴィジョンクエスト

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